私の周りの「ユニーク」「変」「おかしい」人たちについての観察日記です。
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02/18
診察室で
ホームの中のクリニックに、なにもなくても月一回受診します。
主治医は若い内科医で、入居して数ヶ月後に罹った病気の発見を当直医だった彼がしてくれて以来、ずっと診て貰っている付き合いなので、普通の医者・患者間にある境が少しばかり低くなり、ため口をきいたりしています。

その主治医が一ヶ月前に、ドックの結果から大腸の内視鏡をするように勧めましたので、受けてきた結果を今回は報告する日でした。クリニックからだと、大きな病院を紹介されるのですが、私は評判の良い近くの専門医院に自分で行くことにしましたから、クリニックは何の情報も持たなかったので、訊くのも当然。
「ポリープ3個取りました。初めて受診しましたが、いい病院でした」 と報告。
すると「近くだそうだけれど、どこにあるの?」と訊かれたので、「Sの家の目の前です」と答えました。Sというのは、ひと頃一世を風靡した大物歌手です。すると看護師のKさんが、血圧計をしまっていたのに、こちらを向いて「うそぉ!」と言い、目を輝かせて、どこですかあ、と迫って来るではありませんか。「バス停の前」と言うと、毎日通勤するのに通っていたけれど、知らなかった。表札もSとあるし、ランドローバー風の車を運転して出てくる時もあり、60才にはなっていると思うけど、まだ十分格好いいよ、と私。

すると主治医が、Sの歌を口ずさみました。それで私も歌いました。負けじとKさんも歌い出し、さびの部分を3人で合唱しました!
滅多にない体験!笑ってしまいますね。


02/11
スタート地点
昨年末のことですが、東京オリンピック開催についての会議で、小池都知事が「これが通過地点」と言ったのに対し、組織委員会森会長は「スタート地点」だと言う。見解の相違だなと思いつつ、自分に思いを巡らします。

老人ホームに入居している友人(12月24日掲載の友人)からクリスマスカードが届いたので、お礼のFAXを出しました。
ちょっとめげていた時だったせいか、それを感じ取った友人が即座に電話をしてくれたのです。友人は深刻な病気を抱えているので、こちらから電話をするのには気を遣っていますから、電話がうれしかった。友人は元気が少し出たので、吹き矢のクラブに入って練習していると言う。
そして、「貴方も同じこと言うようになったわねえ。3~4週間前に書いてあることと同じことが書いてあったよ」と言われて、ドキッ!そうなんだ。「今この電話で話していて繰り返しがある?」ときいたら、「それはないわよ」と言われて、ほっとする。気になることを、2回書いちゃっただけじゃない、と見ないことにしました。

その翌日です。
エレベーターで家具が運び出されていきます。側にいたホームのスタッフにあれは何?と訊くと、「亡くなったNさんの部屋を片付けているのです」とのこと。
「え!Nさん亡くなったんですか?」
家族葬でホームでは葬儀をしなかったので、ご存じなかったのはでは、との返事。親しくはなかったけれど、亡くなったことを知らないなんてことは変だなと、こういうことには全く疎い友人のAさんに聞いてみると、「うん、亡くなったねえ」と当たり前に言います。
恐ろしいことに、私には全く記憶にない。Aさんが知っていたということは、ほとんどの人が知っているようなものなのに。
記憶が全く欠落しているのです。
おそるおそる部屋に戻って日記を見ると、一ヶ月前にNさんの死亡と、病名までしっかり書いているのです。
この時自覚をしたのです。
私は今、認知症のスタート地点に立っているのだと。
はっきり現れる迄に、2~3年掛かるでしょう。或いは早い発見なので、4~5年掛かるかも知れません。違ったらそれは儲けもの。
この自分の判断を正しいとして、自分をどう抱えて、支えるかが大きく問われているのだと、自覚しました。
02/04
先生の死
友人から新聞で見たんだけれど、高校でお世話になったN先生が亡くなったのねとのハガキ。
高校で現代国語を教わったのですが、卒業後じきに有名私立大学の先生になられました。私は高校時代、国語の成績がとても良かったのですが、それはこの先生を意識してのことした。
11才年上の、憧れの人でした。
彼の乗ってくる電車の時間に合わせて通学したりしました。

就職したばかりの時、こんな職業を持つことになりました、と報告をだしに手紙を出しました。
「先生、私を覚えていらっしゃいますか?」と。
「成績は良いのに、問題を起こす危なっかしい君を忘れるわけがないじゃないか」という返事が来て、文通は続き、この20年は年に一度新宿のレストランの食事にお招きしていました。
奥様がホームでの親友と同じ大学で、そのご縁もあって、奥様も交えてお食事をしたこともあります。

でもこの数年は、レストランで待ち合わせをすることが、難しくなってきました。先生が出てくることが体力的に難しくなり、ちゃんと着くかどうか、どきどきはらはら。それで、2年前に今回でこのデートも終わりに、と前もってお伝えしました。
先生は、記念にと大事にしていられた江戸切り子のグラスを下さいました。
毎夏、レストランで、食事をしながらの2時間、こんな本を出したとかこんな仕事をしたとかおしゃべりしました。
私やっぱり最後まで、淡い恋心あったなあ。ひと言も口にしなかったし、食事以上になることも望んでいなかったし。
とても大事な時間でした。

先生はどうだったのでしょう。
図々しくいうと、高校時代から私を嫌いじゃなかったと思うのです。
その後も絶対それ以上にならない、しない私を面白がっていられたかも知れません。だからこそずっと続いた食事会でした。

先生が老衰による死亡と記事にはありました。自然で先生らしいなあ。
江戸切り子のグラス、戸棚から出して、テーブルにのせました。
とても悲しい。
とても寂しい。
01/28
離婚
ぼんやりテレビを見ていました。
以前は、みたいものしかつけていませんでしたが、最近はなんとなしにつけて、なんとなしに見ていることが増えました。
そのうちに、見もしないのに一日中つけている、という周りの居住者のようになるにちがいありません。あー、やだやだ。

軽薄な私は昔からバライティー番組好きです。今もこれを見るお陰で、若い人たちとの会話が成立します。
今日見ていたら、歌手だった人の娘でタレントのHさんが、離婚して嫌だったことは、と訊かれて、いろいろな男性から声を掛けられるようになったこと、と答えていました。
これ皆、下心なんですよね。離婚したのだから寂しいだろうし、簡単に男を迎え入れるだろうといった下心。
私が40才で離婚した時、慰めるという口実の下に、仲の良かった男友達だけではなく、周辺の男性がよく遊びに来るようになり、リビングがサロン化したことがありました。もう来ないでね、とまとめてはき出し、しばらくするとまた別の人が集まってくるようになったことが思い出されました。それには男性の方だけではなく、無意識に女性の方も「私一人ですよお」というフェロモンを出しているのかもしれません。
Hさんはそれがとても嫌だったそうで、もう一度結婚して子どもを作りたいと話していました。
Hさん、「結婚は一度せぬ馬鹿、二度する大馬鹿」って言うんですってよ。

私の結婚の失敗は、幼なじみだったこともあって、相手に全部を求めてしまうというか、一体願望みたいなのがあったことです。
娘を見ていると、10年も付き合っている彼とは、ある一線があって、それを飛び越えることをしないのです。私が反面教師だったのかも。でも、一線をきちんと守っている彼らを、ちょっと尊敬しています。

01/21
道を渡る虫
バス停の一番前でバスを待っていました。
前のバスは、駈ければ間に合ったのかも知れませんが、この頃「駈けてはいけない」と自分に言い聞かせています。
もうずっと前のことですが、駈ければ乗れると思ったバスをめがけて走りました。その時、この早さで駈けられると思った早さと、実際の早さのあまりの違いに愕然。以来駈けては危ない、と悟りました。気持ちは「サッ-」なのに、実際は「どたどた」でしたものね。
そんなわけで駈けなかったので、バスは目の前で出て行きましたから、一番前に並ぶことに。

バス通りは、片側一車線で、それなりに車が往来します。
ふっと道路に動くものがあるので、目をこらすと、1㎝ぐらいの虫が、こちら側から向こう側によたよたと歩いて行きます。すぐに車にひかれちゃうだろうな、と見ていると車が3台通ったのに無事です。助けたやろうかな、と思いました。
敬虔なクリスチャンの友人は、毛虫や昆虫をわざわざ潰したりして捨てています。どうしてかなあ、といつも不思議です。
害をなすものだけでいいのに。
ともかく、なんなのか判らないよちよちの虫を、SUICAが入っているケースにのせて道路から拾ってやろうかと準備しました。
ところが、ふっと、こういう自然界?のことに手助けはいけないなあと思い直しました。向こう側も舗装した地面で、生きられる確率は低いかなあ、と思いつつじっと見ていました。
何台も車が通るのに、案外しぶとい。風にあおられて、こちらに帰ってきそうになる体勢を何度も修正して、向こうに渡ろうとしています。
あ、渡った。何の目的があったのだろう。余計な手助けしないでよかったのかも。

乗るべきバスが来てしまいました。
後ろ髪を引かれる思いで、バスに乗りました。
どうなったかなあ。

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